院長ブログ
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2013年3月1日「若者よ、大きな目標を持って前に進もう!」

 3月は若い人達の飛躍の月ですが、別れの時でもあります。私たちの病院でも臨床研修医10名、臨床研修看護師27名、臨床研修薬剤師3名の計40名が研修を修了します。彼らの大部分は引き続き当院の職員として勤務しますが、他の病院に移る方もいます。私は彼らに次のようなはなむけの言葉を贈りたいと思います。

研修医
研修看護師
研修薬剤師

 研修医、研修看護師、研修薬剤師の皆さん、研修修了おめでとう。大変ご苦労様でした。薬剤師の方々は初めての研修修了者ですが、医師の研修は10年、看護師の研修は11年の歴史があります。当院は医師部門において四国で初めての卒後臨床研修評価機構の認定を取得、看護部門では日本で初めての臨床研修看護師制度を導入するとともに、薬剤部門でも全国的にも珍しい研修制度を今年度から設立しました。皆さんには、教育人材や制度に恵まれ、歴史ある環境で研修を受けたことに誇りを持っていただきたいと思います。

 さて、東日本大震災や原発事故が発災して2年になります。復興はまだまだの感ですが、あの震災から私たちが学んだことは数多くあります。その一つは、家族や友人、隣人あるいは医療従事者と患者等、人と人の心の繋がりが一番大事であるということです。さらに、あのような現場では、高度な検査や治療機器はなく、自分の知識と五感で診断、治療、看護、投薬することが求められました。今後、もし日本の経済が悪い方向に向かえば限られた資源の中で有効な医療を行うことが否応なく迫られ、自分の知識と五感による判断がますます重要になってきます。当院での研修ではこうしたことが医療の原点であることを折に触れ強調してきました。一説には、進化論の父ダーウィンは“生き残るのは強いものではなく、環境に即応できるものだ”と述べたといわれています。皆さんも昨今の厳しい世の中に対応できる医療従事者になって下さい。

 今後、皆さんはより専門性の高い医療従事者を目指して頑張られることと思います。もちろんそれが一番大切なことです。ただ、医療従事者である前に“他人の気持ちが分かる心を持つ社会人であって欲しい”と思います。患者さんやその家族の心はもちろんですが、これから増加すると思われる経済的な弱者に対する思いやりも忘れないで下さい。仕事に誇りを持ち、内面の充実度を高めて下さい。時間があれば良い本を読み、感動する映画を観に行き、他人の話に耳を傾け、政治や経済にも興味を持ち、人間としての感性を磨いて下さい。

 最後に、こうして皆さん方の成長ぶりを目の当たりにし、教えることの喜びを噛みしめています。このような喜びや若者特有のエネルギーや明るさを与えてくれてありがとう。君たちの未来が輝かしいものであることを祈ります。大きな目標を持って前に進もう!頑張れ!

2013年2月1日「わたしのお菓子放浪記」

 私は大のお菓子好き。ケーキなどの洋菓子よりも和菓子が好物です。時に出かけるデパートでは、地下のお菓子売り場に行くと胸がワクワクドキドキします。徳島のデパートでは和菓子売り場が狭く、行ったり来たりして長居をすると、店員さんに変な目で見られている気がしたり、知り合いの方に声を掛けられたりで余りゆっくりできません。東京のデパートではこうした心配がないので、色あでやかな季節の上生菓子も食べたい、大福も美味しそう、饅頭もいいなあ-ときりがありません。あっという間に時間がたちます。一個ずつ買って喜々として持ち帰り、夕食後ホテルで味わうときの至福感は言い難いものがあります。

 徳島と和菓子は切っても切り離せない関係にあります。というのも、板野郡上板町で作られる阿波和三盆糖は最高級の和菓子には必要不可欠なものだからです。数年前、和菓子の老舗である虎屋の東京赤坂本店で好物の葛きりを食べていたとき、隣接の虎屋ギャラリーが開いていたので覗いてみると、阿波和三盆糖の歴史や製造過程が紹介されていました。虎屋では阿波和三盆糖を使用して、干菓子の他、お汁粉や水羊羹、葛切の蜜など、和三盆糖の風味を活かした和菓子を作っているそうです。この阿波和三盆糖は徳島駅前に直営店があり、簡単に手に入れることができます。ぜひ一度そのまろやかな甘さを賞味してみて下さい。

イラスト

 先日、当院の薬剤部長が「羽田空港のゲート内で木村屋のパンが買えるようになって便利になったけど、銀座の本店と味が違うのよね」と言っていました。私も木村屋のパンのファンで空港でも買っていましたが、本店のものと微妙に味が違うことに気づいていました。同じことが長崎の福砂屋のカステラにもいえるような気がします。福砂屋のカステラは長崎行幸啓(ぎょうこうけい)の折に献上された際、天皇陛下が珍しく二切れ召し上がったというまことしやかな話もあるくらい美味しいものです。最近は全国あちこちのデパートやみやげ物屋で手に入れることができるようになりました。しかし、私には長崎丸山の入り口にある本店のものと味が微妙に違うように思えます。やはり作る職人さんが違うと同じ材料を使っても味が違うのかもしれません。

 お菓子の話をするときりがありません。残りの話はまたの機会にします。和菓子に興味のある方は、西村滋著「お菓子放浪記」や坂木司著「和菓子のアン」を読んでみて下さい。きっと和菓子を食べたくなりますよ。

2013年1月4日「あいさつの文化」

 新年おめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い致します。昨年末の総選挙では自民党が大勝しました。彼らは「人から物へ」と受け取れるような政策を掲げ、公共事業等に力を入れると公言しています。病院事業は代表的な“人”を重視する産業ですので、向かい風が吹くことも予想されます。しかし、こういう時だからこそ人と人との繋がりを大切にする必要があります。今回は人との繋がりを生み出す「あいさつ」について述べたいと思います。

 昨年末、名古屋市のとある器械会社に社内勉強会の講師として招かれました。従業員数200人弱の会社です。驚いたことは、会社内で出会った従業員の方全てが大きく明瞭な声で「こんにちは、良い天気ですね」、「こんにちは、よくいらっしゃいました」などと声をかけてくれたことです。とても気持ちよく、温かい気分になり、会社全体が明るく感じられました。

イラスト"あいさつ"
 当院でも“あいさつの文化”が少しずつ広がっていることを実感できることがありました。先日、病院見学に来られた愛媛県立中央病院の方々から戴いたお礼のメールです。「院内をご案内いただく際にも、当たり前のように“素敵な挨拶”を全スタッフの皆様から頂戴し、院内職員の意識を変え、貴院文化として根付いたものにしていることの素晴らしさを体感させていただきました」と書いて下さり、大変嬉しく思いました。

 しかし、私の実感では名古屋市の器械会社と比べて、当院ではまだ少し広がりが足りないように思います。私も毎朝、かなり大きな声で出会う方々に「おはようございます、寒いですね」と声をかけています。大概の方からは声が返ってきますが、声が小さかったり、ニコッと笑顔はありますが声はなかったりすることを時に経験します。その時は肩すかしをくったような寂しい気持ちになります。来院された患者さんや院外の方も同様の気持ちを抱くのでないかと思います。 

 前述の会社でも数年前までは“あいさつの文化”が殆どなかったそうです。社長が先頭に立ってあいさつすること、次に役員があいさつを行えているか自己申告すること、次いで課長や係長が---と実践して定着していったそうです。私たち徳島県人は内気ではにかみ屋の人が多く、率先して言葉をかけるのが苦手なのかも知れません。しかし、あいさつプラスひと言がさわやかな印象を相手に与え、人と人との繋がりを築く上でも最も有効な手段になります。そこで、今年は目標の1つとして「あいさつ」を徹底し、定着させることを掲げたいと思っています。

イラスト"さ"

2012年12月1日「病院内巡回」

病院外観

 毎週火曜日の午前中約1時間かけて看護部長、事務部長、施設管理課長、総合ビル・メンテム所長と一緒に病院内を巡回しています。当院は「照明普及賞優秀施設賞」や「医療福祉建築賞2007」の受賞歴があり、来院された多くの方から「きれいな病院ですね」と誉めていただいています。それでも築7年ともなると、ストレッチャーによる傷が壁についたり、汚れが目立ってくるようになりました。目が届きにくいところに埃がたまっていることもあります。巡回で気がついた箇所を指摘し、早急に改善するなど、患者さんにとって清潔で居心地の良い環境を保つよう努めています。

 この巡回にはもう一つの目的があります。それは現場におもむき現場の実情を知ることです。各病棟や外来、救急、手術室等で看護師長や職員から生の声を聞く、現場をみる、患者さんや家族の方と直接お話しすると、現場の実情が明らかになります。ある時、入院患者さんの家族と思われる方が職員にお礼の菓子折りを渡そうとしていました。当然、職員は受け取りません。何度か「渡す」、「受け取れない」のやりとりがあり、結局家族の方は諦めて帰られましたが、その後に何か気まずい雰囲気が残りました。家族の方にしてみれば、ちょっとした気遣いをどうして素直に受け取れないのかと思われたことでしょう。職員としては、受け取らないのは当然だと思ったことでしょう。そこで次のような張り紙を病棟内に掲示することにしました。  

患者さまへのお願い

 患者さんにとって居心地がよく、職員も気持ちよく働ける環境づくりに、この巡回が少しでも貢献できれば幸いです。

2012年11月1日「読書は人生を豊かにしてくれる」

 今年も2週間にわたる読書週間が10月27日から始まっていますが、今回は私の読書についてお話します。

 吉村昭は私の好きな作家の一人です。彼は埋もれた資料を徹底的に探しだし、事実を積み上げて小説としていく代表的なノンフィクション作家です。代表作の一つである『戦艦武蔵』は、彼の作家としての特徴を最もよく著していると思います。漁業者達が網の製造に使う棕櫚(しゅろ)が、突如として九州一円から無くなったことから始まる物語は、それが巨大戦艦の姿を欧米スパイから隠すための覆いに使われることへと進みます。戦争のために巨大な費用、労力、犠牲を傾けることの愚かしさを緻密な文章で描いています。私は偶然、この戦艦武蔵の資料館が三菱重工長崎造船所にあることを知り、十数年前長崎を訪れた際にどうしても資料を見たくて造船所を訪れました。受付で来意を伝えたところ非公開とのことでしたが、提示した身分証明書から「赤十字の関係者であれば」と上司に掛け合って下さり、幸運にもガイド付きの見学ができました。建造日誌、進水式のロープ切断用の斧、吉村昭の原稿等貴重な資料を見ることができた体験でしたが、一般の方の赤十字への信頼性が再確認できた出来事でもありました。

イラスト
 源氏物語や三国志等の超長編ものは漫画から入ることにしています。最初から文学本を読むと途中で挫折するのは目に見えているので、源氏物語は末娘が中学生の頃読んでいた大和和紀の「あさきゆめみし」を、三国志は横山光輝のものを読みました。前者は全13巻、後者は全60巻と長大ですが面白くて夢中で読破しました。漫画でストーリーや登場人物を把握し、興味のある箇所は文学本で堪能するという具合です。三国志では現代の私たちも使っている名言、格言がふんだんに出てきます。「桃園(とうえん)に義を結ぶ」、「三顧の礼を尽くす」、「苦肉の策」、「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」「破竹の勢い」等々です。格言のルーツを知ることで、相応の場で効果的に使うことができるようになりました。

 ところで、NHKの大河ドラマ『平清盛』は低視聴率に喘いでいます。テンポが遅いし、天皇、法王、上皇や藤原成親、藤原基房、藤原兼実など身分や人名、人間関係が複雑過ぎてついていけません。角田文衛の『平安の春』(講談社学術文庫)や井上靖の『後白河院』 (新潮文庫)はこの時代に焦点を当て文献を引用しつつ人間の生き様が描かれています。ドラマと文庫本を見比べると面白さは倍増します。

 皆さんも文庫本を旅のバックに忍ばせて出かけてみて下さい。

2012年10月1日「病院愛」

 皆さんはプロ野球巨人軍の長野久義(ちょうの・ひさよし)選手を知っていますか。近着の赤十字NEWS 9月号(日本赤十字社発行)に目を通された方なら、彼が「赤十字支援リーダー3代目」になった紹介記事を読まれたことと思います。私はまったく巨人ファンではありませんが、違う観点から注目している彼のファンです。

 長野選手は日本大学時代の2006年、「巨人以外は拒否」を宣言、日本ハムに4巡目でドラフト指名されましたが入団を拒否しました。その後3年間はドラフト指名をされないというルールに従い、社会人野球チームのHonda(本田技研工業)で活躍しました。3年目の2008年も同様に巨人以外は拒否を宣言し、ロッテが2巡目で指名するもこれを拒否してHondaに残留しました。そして4年目の2009年、ついに長野選手は巨人1位指名を獲得、やっと巨人軍入団が叶いました。4年間の「ジャイアンツ愛」が実った年、彼はプロ野球選手としてかなり出遅れの26歳でした。その後の活躍はご存知のように首位打者、ベストナイン、ゴールデングラブ賞と目覚ましいものです。

2012年8月15日 日赤連
2012年8月15日 日赤連

 さて、翻って私たちはどれだけ私たちの病院に“愛”を感じているでしょうか。医師、看護師など病院を構成している殆どの人達は国家資格者です。彼らは自分の職業に対する誇りは高いものの、組織に対する忠誠心や帰属心は比較的低いといわれており、ことに医師は大学医局への帰属意識は強いが、勤務先病院に対してはそれ程でもないという人達が多いのが一般的です。幸い当院は、長期間勤務し病院への帰属意識が強い医師達が多く、看護師の離職率も数パーセントと極めて低いうえに、他の領域の医療技術職員達の離職も殆どありません。このことが、地方病院でありながら当院をleading hospital にしている大きな要因であると思います。

 どのような組織も、職員が“愛”すなわち忠誠心と帰属意識を持たねば成長・発展は期待できません。当院の7つの基本方針の1つに「職員一人ひとりがキーパースン」とあります。職員全員がこれを合い言葉に、「自分がいなければこの病院は成り立たない」という気概と“病院愛”を持って欲しいと思います。私たち経営部も“病院愛”が生まれるシステム作りや人材確保、向上心を満足させられる人材育成体制の充実に精一杯取り組むつもりです。

2012年9月3日「院長のぼやき」

二十四節気
 毎朝、8時40分から10分程度全医師が集まって「朝のミーティング」を開いています。現在入院中の患者数、ベッドの空き具合、重症者や亡くなった方の報告、注意が必要なちょっとした出来事、各診療部間のお知らせ的なこと、あるいは病院の方針等を全員で共有する良い会と思っています。しかし、毎日になると単調で味気ないものになりがちです。そこで時折季節の言葉を一言入れたりしています。先日も「今日は土用の丑の日です。少し高価ですがウナギでも食べて頑張って下さい」と言いました。50歳を越えた医師の中にはニコと笑って頷いてくれる人もいましたが、若い医師は「土曜?今日は金曜日なのに?ウナギ?なんのこっちゃ」といった顔ばかりです。3月に入ったばかりの時に「今日は二十四節気の啓蟄です。だんだん暖かくなってきます」。反応は「にじゅうしせっき?けいちつ?」といった表情が殆どでした。極めつけは、その日の午後ある若い医師から受けた質問でした。「今朝のお話しの“けいちつ”は経膣分娩と何か関係があるのですか?」

 来春採用の初期研修医師や研修看護師、技師等の面接試験がありました。面接では専門的な質問は各部長さん達にお任せするとして、私はよき医療人は良き社会人でなければならないという観点から質問しました。新聞を読んでいる人が殆どいなかったのは情報媒体多様化時代の今日仕方ないとして、「じゃ政治や社会の情報はどんな方法で手に入れているの?」と聞くと、「お父さんが時々話してくれます」。しばらくこの答えが私の頭をグルグル回っていました(笑)。

イラスト

 彼らの名誉のために述べておきますが、医師や看護学生としては非常に優秀で医学知識も豊富、将来を担う人材です。多分、医学の第一線から離れつつある私のぼやきに過ぎないと思っています。ただ、日本は四季の移り変わりがはっきり実感でき、それに沿った食文化や美しい言葉が発達してきました。最先端の医療知識のみならず先人から綿々と受け継がれた日本文化も日々の生活の中で楽しみ活かして欲しいと思います。また、より大きな医療人になるため社会、経済、政治にも興味を持ってくれたらと願っています。

2012年8月1日「世界水準の高度な医療を患者さんに」

 昨年度(平成23年度)は職員全員の頑張りで過去最高の黒字決算でした。順調に行けばあと2~3年で何とか借金0にできそうです。そうなれば附属棟新設という夢も現実味を帯びてきます。現在、スペースが無く施行不可能なことが数多くあります。例えば透析室や化学療法室の拡大、PET-CT、複雑な手術をするための複合型手術室、患者さんの家族の宿泊室等々です。この新附属病棟を建設することができれば、より高度な医療を行いつつ患者さんや家族に満足を覚えていただくことが可能になると思います。

病院外観

 しかし、このような事業を行うには健全な病院経営が必須条件です。新入院患者さんを増やし、ベッドを効率的に使うことが今以上に求められます。救急や外来部門では“断らない医療”をさらに徹底します。また特色のある診療科を作り上げることも大事です。具体的には、女性スタッフのみの乳腺・内分泌部門を立ち上げます。現在当院には、乳腺外科医、放射線診断医、乳腺専門放射線技師、看護師すべてに女性スタッフが在籍しています。彼女達がチームを作り、女性の癌で最も多い乳癌に取り組めば患者さんにも大きなプラスになると思います。また、10月には脳卒中内科医が赴任してくる予定です。今まで脳外科医のみが担当していた脳卒中の領域を外科と内科が共同して診療すればより多くの脳卒中患者さんの救命、軽症化、社会復帰に役立てるものと期待します。

モービルICU
 多くの患者さんに受診していただくには、病院スタッフ全員が紹介医への感謝の心を持つことが大事です。患者さんが元気になって退院される際に、紹介医と共同診療があったからこそ快復したことを言葉で伝えるようにします。また、私や診療部長がクリニックを訪問し、直接ご要望等をお聞きする機会を作ろうと考えています。秋には2台目のドクタ-ズ・カ-が患者さま方より寄贈いただき運行する予定です。多くの診療科がこれを使い救急患者さんの救命に役立てる計画を立てています。さらに私達が行っている先進的な医療を県民の方々に知っていただくため、徳島新聞に全面を使った診療紹介を行います。8月初旬にその第1弾「切らずに治すカテーテル治療最前線」を掲載予定です。

 人口78万弱の過疎県・徳島の県庁所在地からはずれた街でも、世界水準の高度な医療(技術、看護、思いやり等全てを含む)を患者さんに提供できることを職員全てが誇りに感じてほしいと思います。そして、その医療を遂行するには“自分がいなければできない”という思いを持ち続けましょう。

2012年7月2日「診察室よもやま」

 医師になって39年になります。数えきれないくらい多くの方々を診察させて頂きました。患者さんに教えられながら人間として、医師として成長してきたと思います。その中の何人かの方との交わりをお話します。

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 一番心に残っているのは、卒後2年目の研修医の時代に担当したSちゃん(5歳)です。島根県西部から来たこの女の子は急性骨髄性白血病でした。亡くなるまでの1ヶ月余、ご両親と共に私もずっと病院で寝泊りしました。指導医T先生との連絡役以外何にもできず、患児の側にいるだけでしたが、Sちゃんやご両親と“治ってほしい”という願いで結ばれていた気がします。亡くなった時、ご両親から「先生の勉強になるのなら解剖をして下さい」と申し出て戴きました。剖検を手伝いながら涙が止まりませんでした。

 Kさん(78歳)は、軽症の心筋梗塞と高血圧、糖尿病を患っていますが、お元気なお婆ちゃんです。診察室でも大きな声で喋っていました。ある時あまり元気がありません。「Kさんどうしたの?」、「先生、可愛がっていたネコが死んで、可哀想でご飯も食べれんし夜も寝れん」、「ほりゃ、いかんなあ」、「3年前、爺さんが死んだときは何ともなかったのに」、「??!!」。以後、私はあまり省みなかった家庭や妻を少し大事にするようになりました。

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 Yさんは私が30歳台前半の頃出会った急性心不全の男性患者さんです。年齢は80歳前後だったと思います。その頃、ド-パミンや院内で製造したニトロプルッシッドを使うことができ、心不全は劇的によくなっていました。Yさんも床頭台にうつ伏さなければ寝れなかったのがトイレに行っても何ともなくなりました。「最初は死ぬと思っていたが、こんなに良くなった。先生を自分の親のように頼りに思っています」私の祖父のような年齢の方からこんな言葉を戴き、医師になってよかったと実感しました。

 Iさんは御年102歳の女の方です。高血圧と心房細動で外来通院しています。一人で和田島からバス通院です。診察室に入ってくる度に「先生、もうあかんワ。腰や腹が痛い」といいますが診察しても特に問題ありません。「Iさん、大丈夫、何ともない」、「ほうで。先生も体に気をつけて、お大事に。また来るけん」と帰っていきます。いつまでもお元気でと願わずにいられません。

 臨床医の醍醐味は、患者さんがよくなること、患者さんと心が一体になっていると実感できること、スタッフが一緒になり仕事の成果が得られることです。この醍醐味を得るために、私は足腰が立たなくなるまで“生涯、一臨床医”を貫きたいと思っています。

2012年6月1日「医、食、住のまち、こまつしま」

 先日、小松島市主催のシンポジウム「みんなで進める こまつしま・まちづくり」に参加してきました。参加者の多くの方が「町が高齢化し、人口が減少するのは仕方がない」、「港や美しい自然、豊富な食材を大事にしていこう」という主旨の発言をしておられました。小松島の現状は、妻が当院の8階に入院していた頃、窓から街を眺め「お父さん、この街、死んでいるよ。昼間に誰も町の中歩いていないもん」と言っていた一言に象徴されています。

 建物が立派で、自然に恵まれ、美味しいものがたくさん採れても街は活性化できません。そこに住む人たちが健康で生き甲斐を持ち、街に出なければ住みやすい町とはいえません。私は以前から「医、食、住のまち、こまつしま」を提唱してきました。他の町になくて小松島にあるもの、それは医療だと思います。人口4万余の田舎に日本で有数の急性期病院・徳島赤十字病院があるのです。医師が140人、看護師が500人弱、他の従業員も含めれば900人余りの医療に携わっている者がいる病院のある町、リハビリが可能な病院も近辺に4つも5つもある町、多くのクリニックの先生も頑張っている町、また約2kmにおよぶ旧国鉄跡地の遊歩道がある町。これを活用せずしてまちづくりはできないと思います。

とくしま健康フォーラム
毎年、100人ほどの参加がある市民公開講座「とくしま健康フォーラム」。準備体操のあと、緑に囲まれた遊歩道を歩く。
 具体的には、各地区にウォーキングをする組織を作ります。歩くことは健康の源です。脳の活性化にも繋がります。限られた市の予算でもウォーキングの指導者の養成はできるでしょう。ウォーキングを広めることで家の中で過ごしている人たちを町に呼びだしましょう。ウォーキングに関する色々なイベントを企画しましょう。そうすれば、「小松島に行けばあちこちで歩いている人に出会える」ことを広く知ってもらえます。

 ハモをはじめとした豊富な海産物や阿波牛、有機米に代表される農・畜産物も健康食品として売り出せると思います。津波の危険がない場所に住宅を誘致し、そこに住む人の健康に関しては市内の医療機関が責任を持ってサポ-トするシステムを作れば、健康でありたいと願う様々な人々が小松島に住みたいと思うのは必然です。

 小松島の人口を増やす方法はあります。人口減を当然のこととして捉えるのでなく、皆ができないと思っている中にこそチャンスを見出すのです。当院は1949年に小松島町立診療所から移管され、60余年になります。今でこそ高度救命救急センタ-を備えた徳島県の中核病院になりましたが、“小松島市民の健康を守り、町の発展に寄与したい”という初心はいつも忘れずにいます。

小松島の風景
当院ヘリポートから見た港町・小松島の風景。海辺にはウッドデッキが整備され、心地良い散歩を楽しめる。

2012年5月2日「我らは家族」

 4月に新人の方達が入社して1ヶ月近くになります。彼らも病院に少しずつ慣れてきたようです。しかし、病棟等で彼らに出会うと一目で新人と分かります。まだ目の焦点が定まっていません。「まだまだ不安で一杯なのだなあ」と余計な心配をしています。

え~と、FDLというのはぁ...
 朝「おはようございます」、夕方「お疲れさまでした」と会うたびに大きな声で挨拶してくれます。とても気持ち良く、若い人たちから元気を貰っている実感があります。先日も図書室で調べものをしていると、循環器病棟に配属された研修看護師達数人が声をかけてくれました。「院長先生、心電図が難しくてよく分かりません」。教えることが大好きな私は渡りに船と「勉強会をしようや」ということになり、連休明けに研修看護師セミナ-;心電図の読み方を開催することになりました。次に、「院長先生、FDLカテって何の略ですか」。DLはdouble lumenと思いついたもののFが分かりません。顔が赤くなって「分からんわ」。急ぎ院長室に帰ってきて略語辞典でFはflexibleと調べ伝えた次第です。「すみません。変な質問して」とフォロ-してくれました。いえいえ自分の娘より若い人が気軽に声をかけてくれるだけで嬉しいのです。

 当院はたかだか900人にも満たない職員が勤務する中規模病院です。職員達が生き甲斐を持ち、楽しく働くには相応の環境と職員はお互いに家族であり、気軽に相談ができ何かあれば助け合い、院長は職員が困難に出会ったときは絶対守り抜くという気概が必要と思っています。

2012年4月2日 「はじめまして、自己紹介します」

 今回は自己紹介をさせて戴きます。昭和24年1月、徳島県の吉野川中流の農村で生まれ、昭和48年に鳥取大学医学部を卒業しました。卒後2年間、母校で当時は珍しかったローテート研修を行い、一般内科、消化器内科、神経内科、小児科で半年ずつ研修しました。このローテート研修で培った多面から患者さんを診る習慣がその後の医師人生に非常に役立ちました。その後、郷里の徳島大学第二内科に入局し、循環器内科を専攻しました。

研修医時代(1975年)ローマにて
研修医時代(1975年)はじめて国際学会に出席したローマで
 人生を左右するものは、師と敬うことができる人との出会いと自分の力を発揮できる場が得られることと考えています。私の師は、当時の森博愛徳島大学教授と後に出会う延吉正清小倉記念病院循環器科部長です。森教授はベクトル心電図の大家ですが、研究の面白さ、発表したことを論文にする重要性、今日の課題を明日に延ばさない気概等を手取り足取り教えて下さいました。4年間の大学病院での生活の後、縁合って小倉記念病院循環器科に1年間国内留学しました。そこで患者さんと直接向き合う臨床の面白さを体験し、目から鱗が落ちました。延吉正清部長がカテーテルを使った急性心筋梗塞の治療を始めたばかりでその効果に驚き、自分の進む道が決まりました。

 昭和55年、小松島赤十字病院に循環器科が新設されると聞き、2年下の医師と2人で赴任しました。赴任当時は外来、入院患者とも数人という寂しさで小倉記念病院とのギャップに悩みました。患者さんを増やすにはクリニックの先生達との徹底した病診連携しかないと考え、午前中に仕事を終え午後はクリニックの先生の訪問に費やしました。「どんな患者さんも24時間いつでも診る」、「入院が必要とする方は必ず入院させる」、「患者さんを通して紹介医に感謝の気持ちを伝える」ということを約束、実践しました。この病診連携の原則は今では病院全体のものとなり、紹介率89%という数字の原動力となっています。

 赤十字病院に赴任後の30余年は私達循環器内科医にとって上げ潮の時代でした。エコ-検査、心筋シンチ、カテ-テル等の検査が臨床で導入・使用され始め、治療もカテーテル治療、ペースメーカー、植え込み型除細動器、心不全の心室同期治療等が効果を発揮しました。この間、当院でカテーテル治療を行った患者さんは850~1,000人/年、総数28,000人余と全国でも有数の施設になりました。医師も全国から若い仲間が加わり18人に増えました。こうした実績を残せたのも新しいことを導入するのに理解をし、雑音に対して盾となり、実践の場を確保して戴いた片岡善彦前院長を始めとした先輩達のお陰と感謝しています。

 患者さん達に生活習慣病を防ぐコツとして、①伝統的な日本食を食べよう、②歩こう、③絶対禁煙をいつも話していることもあり、毎日1万歩以上歩くことが趣味といえば趣味です。病院までの通勤で街の季節の移り変わりを楽しんだり、家庭の食卓の香りを嗅いだりしています。病院長として初心に立ち返り、患者さん、職員の方々、院内に出入りする皆さん全てが満足できる施設をと考え、努力するつもりです。

院長プロフィール
ひあさ・よしかず
ひあさ・よしかず
1973年鳥取大学医学部卒。同大学付属病院にて臨床研修後、徳島大学大学院卒。北九州市小倉記念病院循環器科医長を経て、87年小松島赤十字病院(現・徳島赤十字病院)第三循環器科部長、2002年副院長、2011年より院長。医学博士。日本のカテーテル風船治療の草分け的存在である。