院長ブログ
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2014年3月3日「嬉しい患者さんからの励まし」

 当院では院内のあちこちにご意見箱を設置しています。患者さんやご家族の方から生の言葉をいただき、日常業務の向上に役立てたいとの願いからです。2012年12月のブログにも書きましたが、ご意見箱の横に次のようなお願いも掲示しました。

 「(略)---- もし、感謝のお気持ちをいただけるのであれば、皆さまのやさしいお褒めの言葉や笑顔、あるいは励ましのお手紙などを届けて下さい。それが私たちにとって最上の喜びであり働く力になります。----(略)」

 その後、たくさんのお褒めの言葉や感謝のお手紙をいただきました。ある若い看護師は病棟で突然倒れた患者さんを救ったことに対して、”命の恩人”という内容の感謝のお手紙をいただき、「一生の宝にしたい。これからもっと頑張るエネルギーを貰った」と感激していました。その他、枚挙にいとまがないほどの励ましが私たちの働く力になっています。今回は私が感激した2通を紹介いたします。

 「5階北病棟の廊下にテープの端のようなゴミが数個落ちていました。S先生が横を通って行かれたのですが、スッと腰を下ろしてゴミを全て拾っていかれました。お医者さんがゴミを拾われる姿などはあまり見たことがないので、ステキだなと感動しました。」

 “院内を清潔・綺麗に”というのは武田七郎初代院長の時代からの良き伝統です。武田院長はゴミが一つ落ちていても、トイレが少し匂っても雷を落としました。新しい病院に移った後も掃除と清潔感を保つことには留意してきました。おかげさまで外部から訪問される方々には「病院がいつもきれいで清潔だ」と褒めていただいています。これからも良き伝統を全職員で守っていきたいと思います。

 「一月三十一日午前に診察を受け玄関ロビーにて手袋を忘れましたがボランティアの方の適切な対応でいただく事が出来ました。バスの時間がなくお礼もそこそこで帰りましたことが悔やまれてなりません。ご親切なボランティアの方にくれぐれもよろしくお伝え下さいませ。」

 当院では現在36人のボランティアの方々に、朝の7時過ぎから外来や患者図書室などで活動していただいています。私たち職員の手が届かない場所や時間帯に活動していただき、かつ患者さんからこうしたお礼をいただけるほどの気配りを持って活動してくださるのは本当にありがたいことで、感謝の念に堪えません。さっそく朝のミーティングで医師全員にこのお手紙を紹介し、日頃からボランティアの方々に感謝の気持ちを持つように話しました。

2014年2月3日「“川柳”からみる病院の現場」

 最近、川柳に興味を持っています。自分で作品を作るという領域には達していませんが、

  1. 短いフレーズで急所を外さないモノの捉え方
  2. さりげなくサラリと言ってのける句体
  3. 五・七・五の17音の定型詩に込められたじわりと湧いてくる笑いや自然なユーモア

は日本文化ならではの味がします。

 以下の作品は、新聞の川柳欄やWEBに掲載されたものですが、患者さんから見た病院・医療の姿が反映されています。

「丸椅子に患者の地位を知らされる」1)

 患者の地位が向上したといっても患者は丸椅子、医者は背もたれ付きの豪華な椅子ではこうした川柳も作ってみたくなります。しかし、実際の臨床現場では背もたれや肘掛付きの椅子は、背中の聴診や脈を診るには邪魔で不便です。丸椅子に座って頂いても丁寧な言葉遣いや真摯な態度で患者さんの目線に立った診療をすれば納得していただけると思います。

「太ったねと言われ嬉しい病み上がり」2)

 女の人に「太ったね」などと軽々しく本音を言えば、しばらくは口を訊いてもらえません。しかし、大病をして痩せた身には、この言葉は闘病に対する何よりのねぎらいや励ましになります。当院の看護師に優しい言葉をかけてもらったと、退院後にお礼の手紙をよく頂きます。医師や看護師の優しい言葉こそ最良のサプリメントかもしれません。

「突き刺さる医者の言葉と注射針」3)

 刺すのは注射針だけで結構です。医者に言葉でも刺されたら治る病気も悪化します。注射針も優しい言葉をかけながらであれば痛さも少なく感じるものです。相手のことを思いやる態度や言葉が医療に携わる者には不可欠です。

「負担増え医者に行くにも我慢増え」4)

 日本は世界でも数少ない国民皆保険制度があり、いつでも、どこでも、どのような病院にも自由に受診できます。しかし、それを維持するには莫大なお金が必要です。病気にならない生活習慣を身に付ける、そして病気になったらまずかかりつけ医を受診し、必要なら専門医を紹介してもらう。そうしたシステムを皆で考えることが大事と思います。

出典

  1. 2013年12月22日の毎日新聞朝刊
  2. 2014年1月6日の毎日新聞朝刊
  3. 七菜海趣味サイト「お笑い 病と病院川柳」
  4. 川柳のポータルサイト「川柳人」

2014年1月6日「私たちは断らない医療を実践し、みなさまの健康と尊厳をお守りします」

 新年おめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。昨年11月から当院の理念を表記のように改めました。キーワードは“断らない医療”、“健康”、“尊厳”の3つです。中でも“断らない医療”を中心に据えています。

 私は、医療の究極の原点は救急医療と思っています。“断らない医療”は特に救急医療に求められます。落ち着いている病気であれば、患者さんは自分の都合に合わせて受診する医療機関などを選択することができます。しかし、救急医療は診る側も受診する側も“待ったなし”です。都会の病院では、医師不足・ベッド不足などにより、救急患者の“たらい回し医療”が常態化しています。徳島県でも事情は例外ではありません。特に郡部の医師不足は深刻です。また、医師だけでなく、救急医療に不可欠な看護師、検査技師、放射線技師、薬剤師など全職種の待機が24時間、365日可能な病院はごく限られています。当院は徳島県において、そうした24時間体制の医療チームを持つ最大の医療機関であると自負しています。「救急患者は絶対断らない」の方針の下、本年度上半期で約2700台の救急車やドクターヘリを受け入れました。緊急転院や、救急外来へ自ら足を運ぶ人も含めると、救急患者は1日平均65人に上ります。

 私たちは救急医療においても、赤十字の基本理念である「人道・博愛」に通じる患者さんへの思いやりを第一に考えています。病院によっては、重症患者さんしか診ないという施設もあります。しかし、外来で治療可能な一次救急、入院治療が必要な二次救急、極めて専門的な治療が必要な三次救急の判断は、基本的に病院の医療スタッフが行うべきものです。患者さん自身が「急病であり深刻な事態」と判断すれば、当院では救急患者と認識されます。明らかな軽症の方は例外として、全ての救急患者を受け入れ、断らない医療を実践するのは、患者さんの“不安な思い”に応えたい心があるからです。

 しかし、一方で課題も山積しています。職員は超多忙で過酷な労働環境の中でも、患者さんの回復や感謝の言葉を糧に笑顔で働いていますが、「本当にしんどい。みんな心身ともに疲れている」というのが本音です。特につらいのは、一部の患者さんや同行者からの“精神的なダメージ”を与える言葉です。「お前ら若造に診て欲しいないわ」、「何モタモタしとんな。はよ診んかい」などの脅迫的で激しい言葉を若い医師や看護師に向ける方もいて、スタッフの中には精神的に不安定になる者もいるのが現実です。

 それでも私たちは、環境を改善しながら、救急医療のあるべき姿を啓発し、断らない医療を実践してゆこうと思います。理念は掲げるだけでは絵に書いた餅にすぎません。常に言葉にし、現場で実践しながら、全職員に浸透させていくつもりです。

2013年12月2日「笠井利則先生への追悼のことば」

平成25年11月13日に、泌尿器科副部長 笠井利則先生が若くして急逝されました。笠井先生への追悼のことばを、この場を借りて述べさせていただきます。

 こんなに大事な人を連れて行った神様を恨めしく思いました。人生は長さではないのかも分かりません。どれだけ充実した生き方をしたかの問題かも知れません。優しい奥様や可愛い4人のお子様に恵まれ、患者さんにも慕われ、あなたは最上の人生を送ったと私は思います。それでも42年の期間はあまりにも短すぎます。本当に悔しい、悲しすぎます。

 私とあなたは生家が同じ集落のごく近所でした。年齢が2回りも離れているため直接の付き合いはありませんでしたが、近所の優秀な若者が高知大学医学部に入学したこと、徳島に帰って泌尿器科を専攻したこと、近くの麻植協同病院に勤め近所の人達から頼りにされていること等を父親から聞いていました。平成17年に当院に勤め始められ、私には年の離れた弟が来てくれたような気がしました。持ち前のシャイな性格からか、少し気兼ねするのか、私と話をする時は遠慮がちでした。近所の後輩なのだから遠慮せず、もっと頼ってくれてよいのにと思ったものです。

院内誌「院内ホットライン」平成25年8月号のコーナー「私の研修医時代」に笠井先生がご寄稿くださった際、原稿に添えられた若き日の写真(1997年、高知市立市民病院職員間の宴席にて。右から3番目が笠井先生)。

 あなたの診療技術の高さや患者さんに対する思いやりの深さは衆目の認めるものでした。亡くなった後、新聞記事を見て「あの笠井先生が本当に亡くなったのですか。お世話になっていたのに・・・」と絶句しながら問い合わせの電話をかけてくる患者さんが数多くいらっしゃいました。職員の信頼も厚く、あなたへの最期の見送りにはあんなに多くの者が集まりました。これらはあなたの医師としての勲章だと思います。

 昨年の私たち経営部との意見交換の場で「これからは人工透析もやりたい」と夢や意気込みを語っていたことを思い出します。医師としての才能に恵まれたあなたが、今までの研修や経験を生かし、これから花を咲かせるべき時期に突然それを中断せざるを得ないのは本当に残念なことでしょう。私たち職員全員も同じく切ない気持ちです。

 「人は2度死ぬ」と申します。1度は肉体的な死です。もう1つは人々の記憶から消えるときです。私たちはあなたのことをずっと忘れません。どうぞ私たちの中で生き続けて下さい。悲しいことがあったすぐ後なので自分の気持ちがうまくまとまりません。お許し下さい。本当にお世話になりました。

2013年11月1日「みんなの心で患者さんや職員に優しい新棟建設を」

 今年7月31日にキックオフ宣言した新棟増築計画は、その後も着々と進んでいます。建設場所は病院西側にある現在の駐車場スペースで、延床面積は最大1万m2と、現在の外来棟に匹敵する大きさを予定。この建物の完成により、最先端の医療を展開し、患者さんとその家族や職員の福利厚生を充実させることが可能になります。

 このプロジェクトの大きな目的のひとつは、上から押し付けるのでなく、職員が自発的にアイデアを出し合い、自分たちの病院を作る過程でお互いの連帯感や一体感を強固にしていくことです。アイデアを募ったところ、152件もの創意工夫に満ちた案が提出されました。現在、ヒアリングも大半が終わり、新棟の概略が見えてきつつあります。主なものとしては、陽電子放射断層撮影(PET)を始めとした放射線診断・治療部門の充実、消化管内視鏡検査・手術の拡充・整備、日帰り手術センターの設置、更衣室や休憩室の整備、地震・津波発生時の市民の避難スペースの設置等です。今後も創意工夫を重ね、患者さんや職員に対して優しく、きめ細かいサービスが提供できる新棟を職員全員で作り上げていきたいと思っています。

 さて、話は変わりますが、和食がユネスコの無形文化遺産に登録される見通しとなりました。“和食大好き”の私としては大喜びです。和食を主体とした家庭での食習慣を作ることは、健康を守る上でも重要な課題です。無形文化遺産への登録が、きんぴらごぼうや里芋の煮ころがし等の伝統的な和食を子供たちに伝えていく好機になることを願っています。

 私は今、高田郁著『みをつくし料理帖』に夢中になっています。大阪の大水害で天涯孤独となった少女・澪が身寄りもなく慣れない江戸に出て、天性の料理人としての味覚を生かし、失敗を重ねながら庶民のためのおいしく安価な料理を創意工夫して次々に作り出すというストーリーで、間には旗本武士との切ない恋、元の奉公先の女主人との労わりあう心遣い等が織り込まれています。文庫本の巻末には澪が作った料理のレシピが紹介されており、私のレパートリに加わったものもあります。「食べる人の身を思って料理をしている。美味しく食べて欲しい、食べることで健やかになって欲しい」と澪は言います。

 澪の言葉には作り手の思いが込められていますが、先日患者さんから栄養課職員宛にいただいた手紙に「患者の身体の状態や心に沿った献立ができている」という旨のお礼の言葉が添えられていました。作り手の思いが届いたことをうれしく思うと同時に、当院の栄養課がまた一つステップアップしたと誇らしく思いました。

2013年10月1日「“謙遜の心”を持ちつつ自分たちをPRしたい」

 7年後の2020年にオリンピックとパラリンピックが東京で開催されることに決まりました。招致のための国際スローガンは“ディスカバー・トゥモロー(未来(あした)をつかもう)”。国民全体が明るい目標を持ち、共に前進することはとても良いことだと思います。当初マドリードより劣勢といわれていた東京が招致に成功したのは、最終プレゼンテーションで日本人や東京の良さを積極的にアピールし、それが選考委員の心を捉えたからだといわれています。

 滝川クリステルさんは「日本人は先祖代々受け継がれてきた“おもてなし”の心を持っている」、「東京で昨年、現金3000万ドル以上が落し物として警察署に届けられた。何かを無くしてもほぼ確実に戻ってくる」、「公共交通機関は正確で街中は清潔」、「タクシー運転手さんは非常に親切」等と強調しました。また、東京招致委員会の竹田恒和理事長は、過去のオリンピックやパラリンピックでドーピング違反をした日本人選手は1人もいないことをあげ、日本人アスリートの精神の高潔さを訴えました。

 東日本大震災が発災した数分後、西水美恵子・元世界銀行副総裁の在留地・英領バージン諸島に、東京出張中の部下から次のような電話報告があったそうです。「今、帝国ホテルに向かって歩いている-----ミエコの同胞は素晴らしい------強い余震の来る中で-------誰もかれもが落ち着きはらって------まわりの人を思いやって-------助け合っている------こんな民族が住む国がこの世にあったなんて-------信じられない----ミエコの国はすごい-----」発展途上国はもちろん米国のような先進国でも自然災害の後には必ずと言っていいほど略奪や暴動などの人災が突発することをその部下は身をもって知っており、日本人の行動に深い感銘を受け、魂が揺さぶられたのです。私たちが当たり前と思っていることでも、世界の人から見れば驚異なのです(毎日新聞、2013年2月10日朝刊より要約)。

 私は外部の人たちとの色々な会合で病院職員をよく誉めます。私の口から言うのもなんですが・・・と前置きをして、「看護職員の向学心、思いやりの心は素晴らしい」、「栄養課職員の患者さんの心に沿った献立には感謝している」、「検査部門の検査精度や迅速さはピカイチです」等々です。また職員にも、自分たちの同僚を患者さんやご家族にもっと褒めるようにお願いしています。素晴らしい手術をした医師がいれば「あの医師の技術は私たちの誇りです」、病棟で救命処置に成功した看護師については「あの看護師さんがいてくれてあなたの命が助かりました」----。謙遜するあまり伝えることを躊躇すれば、それが素晴らしいことであると気づいてもらえないかもしれません。過度の自己顕示は憚(はばか)られますが、同僚の努力や功績に対する賞賛を外部へ発信することは、相互の信頼と理解を深めるのにとても大切だと思います。

2013年9月2日「北海道の旅」

 8月初旬、猛暑の徳島から逃げ出し、北海道に数日間夏休み旅行に出かけました。北海道旅行を思い立ったのは、避暑目的もあったのですが、最近愛読している漫画「銀の匙」(荒川弘作)の舞台であることが大きな理由でした。この漫画は主人公の八軒勇吾が中高一貫の進学校の激しい学力競争に疑問を持ち、大蝦夷農業高校(通称:エゾノー)に入学するところから始まります。色々な体験を重ねるたびに自ら考えることを覚え、学び、少しずつ成長していく主人公の姿を恋や友情を織り込んで描くとともに、酪農家の抱える深刻な経営問題や蟹漁の奥深い問題点もさりげなく指摘しています。

 まず、以前から興味のあった北海道大学のキャンパスを訪れました。クラーク博士像やポプラ並木はもちろんですが、なによりも広大な敷地をゆっくり散策したいと思っていたのです。夏休み中のせいか学生よりも観光客が多く、あちこちで記念撮影をしていました。キャンパス内に巡回バスが走っていたのには少し驚きました(残念ながら観光客は利用できない掲示がありました)。その日の最高気温は札幌では珍しく31度だったそうですが、歩いていても汗が出ない程の快適な気候の中、紫陽花、向日葵、コスモスが一緒に咲きほこっていました。

 北大総合博物館では、札幌農学校時代からの歴史や、北海道や樺太から収集された人類、マンモス、恐竜等の動植物や鉱石等の膨大な標本、資料が保存・展示されていました。感心したのは要所要所にボランティアの方がいて展示した「モノ」の背後にある情報、つまり「コト」を語ってくれ、「モノ」に生命を吹き込んでいることです。また、種々の企画展も開催されており、当日は「フカシギの数え方」と題して膨大な数の組み合わせの面白さを子供向けに教えていて、まさに地域に開かれた大学でした。当院も、市民に開かれた病院として医学の領域でこうした企画や展示ができないか考えました。

 つぎにラベンダーの花や自然の美しさをもう一度見たいと思い、富良野・美瑛を訪れました。「パッチワークの丘」とも呼ばれる景色の美しさは十余年前に訪れたときと変わりませんが、今回は何か異質なものを感じました。全てが観光化されているところです。以前は美しい畑の中に小屋があり、地元でできた牛乳やソフトクリームだけを販売していたのですが、今では大きな看板を掲げた土産物屋に変貌し、中国人や韓国人を含めた大勢の観光客が押し寄せていました。後日NHKで、押し寄せる観光客が農地に入って作物を傷つけたり、害虫を持ち込んだり、無断で顔写真を撮ったりして地元の農家に大きなストレスを与えていること、地元の人達は景観が台無しになることを承知で、コマーシャルでよく知られた木にペンキで×印をつけるなどして抗議の意を表明していることが報道されていました。お互いに節度とマナーを守ることがどの分野でもとても大切なことだと実感しました。

 最後に、北海道では快適な気温の下で美味しい魚、イクラ、トウモロコシ、メロン等を堪能し、鋭気を養って帰ってきました。

2013年8月1日「病院の言葉」をもっと分かりやすく ~易しさは優しさ~

 6月の院長ブログで「伝わらない用語なんて」と題し、略語をむやみやたらと使わないようお願いしました。その直後に、岐阜県の男性がNHKのテレビ放送に外国語が多すぎ、分かりづらく精神的な苦痛を受けたと裁判を起こしたことが報道されました。裁判を起こしたことへの賛否はともかく、多くのマスコミによって報道されたことからも共感する人が多いことは確かだと思います。この度の提訴で例示された中に、リスク、ケア、コンシェルジュ等医療や福祉の現場で使われている言葉が多いのも特記すべきことです。外国語やカタカナ言葉になじみの浅い高齢者が多い場であることを考慮して、もっと心配りをして欲しいとの願いがあるのだと思います。

 私たちはいつも「患者さんの目線に立った医療」をと考えています。言葉は私たちの意志を伝える重要なものです。普段使っている言葉が患者さんに合ったものか検証することが必要です。国立国語研究所は「病院の言葉」を分かりやすくする提案を行っています。この報告書の中で分かりにくさの原因として、

  1. 言葉になじみが少ない
  2. 意味や内容が専門的で難解
  3. 聞く患者さんが病気やけがで不安定な心理状態にある

ことをあげています。さらに「エビデンス」等の認知度の低い言葉は「この治療法がよいといえる証拠」といった日常語で言い換える、「腫瘍マーカー」等の誤解しやすく理解度の低い言葉は「がんがあるかどうかの目安になる検査の値」と明確に説明することの必要性を述べています。また新しい概念である「プライマリーケア」、「ガイドライン」、「セカンドオピニオン」、「インフォームドコンセント」等の言葉はそれぞれ「総合的に診る医療」、「診療指針」、「別の医師の意見」、「納得診療、説明と同意」等の分かりやすい言葉でその概念を普及させることが重要だと提言しています。

 解説のメモがなければ患者さんが理解できないような言葉は使うべきではありません。患者さんと話すときは、分かりにくい外来語は馴染みのある日本語で、かつ誰にでも分かる平易な日常語で話したいと思います。

2013年7月1日「伝統的和食のすすめ」

 先月6月は「食育月間」でした。私は大の和食党です。「食」に関することばかり書いて恐縮ですが、今回は和食についてです。日本が世界に冠たる長寿国となったのは、和食の貢献が大であったことは論を待たないと思います。近年、その和食がファスト・フードに浸食されつつあり、日本人の長寿にも赤信号が灯っています。

 その未来を予見するようなことが沖縄で起きています。いわゆる“沖縄クライシス”と呼ばれるものです。沖縄県民の平均寿命(厚生労働省調査)は、1985年は男女とも全国1位でした。しかし、2000年にまず男性が4位から26位に転落、次いで2010年には1位だった女性が3位に、男性は30位になりました。年代別にみると、65歳以上の平均寿命は未だ全国1位です。この年齢層の人達が食べているのは沖縄の伝統食であり、白飯を食べる量が少なく、伝統的な調理法によって脂質を減らした豚肉が多く使われ、野菜、豆腐、魚そして昆布だしや鰹節を使用するため塩分摂取量が少ないという特徴があります。

 一方、比較的若い世代は、ハンバーガーやフライドチキンなどの高カロリー、高脂肪の食事や日本食でも塩分含有量の高いみそやしょうゆを調味料として使ったものを多く食べており、彼らが強力に平均寿命を押し下げています。米国の統治下にファスト・フードが広がり、本土復帰で日本食の悪い点が習慣化された結果、沖縄県民の健康が危機にさらされていると言われています。

 伝統的な和食は、低カロリー・低脂肪で、豊富な種類と量の野菜、魚油をふくんだ魚、多くの海藻類などから構成されており、タンパク質やビタミン、ミネラル、植物繊維等が豊富にバランスよく摂取できる優れた食事です。ただ、調味料に塩分が多く、保存食としても多くの塩分を使用していることが最大の欠点です。

 最近、気になるいくつかの記事を目にしました。「徳島県は野菜の主たる生産県にも関わらず野菜摂取量がお隣の香川県と全国最小を競い合っている」、「全国的に“果物離れ”が進んでいる。それも皮むきが面倒なリンゴやミカン、ブドウ等に顕著である」、「魚は調理が面倒なので買わない」、「包丁を持たない若い世代の家庭が増加している」等々です。

 塩分を控えた伝統的和食を毎日食べるのが無理なら、せめて毎月19日の「食育の日」は家族全員で和食を食べる日にしませんか。ファスト・フードの濃厚な味と甘さに慣らされつつある若者や子供達に、繊細な味が分かる日本人独特の味覚を取り戻さなければなりません。皆さんの家庭で一度話し合ってみてはいかがでしょうか。

2013年6月3日「伝わらない用語なんて」

 過日、私の外来へ半年に1度程度通ってきている80歳代の女性が受診されました。あまり元気がありません。「●●さん、お元気でしたか?」、「先生、足や腕やがあちこち痛うて痛うて、入院しとった」、「何という病気でしたか?」、「診療所の先生から横文字の難しい病名を言われたがよう分からん。そこに何と書いてあるで?」。紹介の先生からいただいた情報提供書を見ると、『PMRと思われる筋肉痛で入院していました』と記載されています。PMR?PMR?私の頭は混乱してしまいました。「●●さん、ごめんよ。勉強不足で。私もよう分からん」、「先生も分からんことがあるんじゃなあ」。診療が終わって急いで略語辞典を見ました。PMR: Polymyalgia rheumatica;リウマチ性多発性筋痛症。日本語で書いていてくれたら少しは満足な説明をしてあげられたのに、と自分の不勉強を棚に上げて少し恨めしく思いました。

 当院でも先日、救急治療運営委員会から「コードブルー時の対応について」と題する文書が配布されました。コードブルー(Code Blue)とは患者さんの容態が急変した際の「緊急事態発生」「至急全員集合」を意味しますが、容態急変時でも、積極的な蘇生をせず静かに看取って欲しいと希望される患者さんには、診療録のよく分かる場所に“ノーコードブルー”と記載していました。この言葉が正式な用語でないため、“DNR(蘇生不要)”にすると決めたのですが、この通達がでる前には“DNR”とのみ表示されていたようです。私もDNRの意味が分かりませんでした。DNR:do not resuscitate;蘇生するな。何のことかよく分からず患者さんの意思に反することをしかねないとの意見が出て“(蘇生不要)”が付記されました。

 ところで、“AQMM”。皆さん何のことか分かりますか。恐らく当院の一部の方以外には全く通用しない略語だと思います。かなり以前、他施設から当院に見学に来られた方が、「皆さんAQMMってよく使われていますが何の略語ですか」と不思議そうに聞かれました。ある幹部職員が答えました。「毎朝医師を集めて行うミーティングです」、「いい試みですね。正式には何を略しているのですか」、「???」。AQMM:A Quarter Morning Meeting;15分間の朝のミーティング。造語ですから誰も分かりません。

 言葉や用語、略語は誰にもよく通じて初めてその役割が果たせるものです。診療録も紹介状も、医療従事者のみならず患者さんや家族の方が見てもよく分かる言葉で記載したいものです。

 追記:最近、三浦しをんの『舟を編む』を読み、ますます日本語が好きになりました。

2013年5月2日「江戸の街ぶらり歩き」

 東京には公務や学会で頻繁に出かけます。その際、余り窮屈なスケジュールを組まず、できれば1便早い飛行機で出かけます。それは江戸の街歩きをしたいという密やかな楽しみがあるからです。今回は私のおすすめ街歩きコースを紹介したいと思います。

 最もよく訪れるのは旧江戸城内です。ここは「皇居東御苑」として一般に無料開放されていますが、案外知られていない穴場スポットです。パレスホテルの前にある大手門から木札を貰って入場します。身分証明書等は不要で不愉快な手荷物検査もありません。百人番所、同心番所や富士見櫓を通り、非常のときに大奥の調度品などを納めた石室を通り過ぎると吉良・浅野の刃傷沙汰のあった松の廊下跡や大奥跡が現れます。その先にはかつて五層の天守閣が建っていた石垣(天守台)が残っており、登ると都心とは思えない広々とした眺望が開けます。北桔橋門の出口で木札を返し、北の丸公園から靖国神社へと抜けます。遺跡だけでなく、二の丸庭園や北の丸公園では桜はもちろん梅、花菖蒲、百日紅、秋の七草等四季の花々が楽しめます。あまり知られていないためか人が少なく、のんびりと江戸の昔に思いを巡らすことができます。

 次にお勧めが品川から鈴ヶ森の刑場跡までの旧東海道歩きです。品川駅前を南下し八ツ山橋から旧東海道に入ります。そこには品川宿の面影があちこちに残っています。この辺は江戸時代には目の前まで海が迫っており、今でも潮の香りが漂っています。昔のめし屋を彷彿とさせる大衆食堂での鰻丼は天下一品の美味でした。その他、駄菓子屋さん、味噌屋、畳屋等の懐かしい家々や商店が並んでいます。しばらく行くと涙橋があります。鈴ヶ森刑場に引き立てられる罪人と家族がこの橋の上で最後の別れをしたと伝えられています。鈴ヶ森の刑場跡は見せしめ的な意味があったのか街道のごく傍にあり、今でも残る火炙台や磔台が私の涙を誘いました。

 その他、映画『ALWAYS三丁目の夕日』のような雰囲気を味わうことができる日暮里・谷中周辺や、明治の財閥の華やかな暮らしが体感できる旧岩崎邸がある上野界隈等も散策にはもってこいのスポットです。また、江戸・明治の偉人を訪ねようと思えば墓地巡りも結構楽しいものです。日暮里近くにある谷中(やなか)霊園には徳川慶喜、渋沢栄一、横山大観、青山霊園には大久保利通、小村寿太郎、中江兆民、乃木希典、犬養毅、秋山好古等が静かに眠っています。霊園事務所に行けば霊園地図も手に入れることが可能です。

 皆さんも東京に行く機会があれば江戸の街歩きを楽しんでみませんか。

2013年4月1日「日本のトップ病院を目指して」

 新年度が始まり、私たちの病院にも66名の新しい仲間が加わりました。これまで共に頑張ってきた者も加えますと総勢981名のスタッフが“よい医療を行う”という共通の目標に向かって邁進しています。新年度にあたり、改めて“私たちの病院の目指すもの”を皆さんと一緒に確認したいと思います。

 目指す第一は“高度急性期医療をさらに押し進める病院”です。高度急性期医療を担う病院とは、「命を救う」、「病気の進行を止める」、「病気の回復が見込める目途を立てる」までの期間を担当する病院です。救急車で搬送される患者さん、緊急に入院の必要な患者さん、他の医療機関からのご紹介で手術や精密な検査が必要な患者さんなど、重症の患者さんを迅速に受け入れ、特に緊急の集中治療が必要な疾患に対し、その症状が激しい時期の治療(急性期医療)を行っています。そのため高度な医療技術を持った医療従事者が、常に万全の診療態勢でいることが必要です。私たちはがん、脳卒中、心筋梗塞、糖尿病等についても迅速に対応し、高度な技術で治療することを使命と思っています。これら救急医療や高度医療を遂行するために必要な人材育成や設備投資を最優先としています。また、命の危険にさらされている多くの方を治療するためには、地域の病院やクリニックの先生方との協力・連携が必要不可欠です。患者さんには、定期的な診察・投薬や風邪などの軽微と思われる病気の場合は、地域のかかりつけ医を受診してくださいますようご理解・ご協力をお願いていします。命に関わる病気も治療後の病状が安定すれば、ゆっくり療養できる病院に移っていただいています。当院では405床という限られたベッド数を、急性期医療を必要とする患者さんのために有効に使っています。

 第二は“市民のための病院”を目指します。診療のみならず、病気の予防や啓蒙にも力を注ぐつもりです。毎年恒例の病院祭や春・秋に行っているウォーキングイベントなどを通して、これまでにも市民の皆さんと交流を図ってきましたが、この4月からは小松島市や小松島医師会と共同で市民公開講座を毎月開催することになりました。これを機に、当院は地域の皆さんと一緒に“医、食、住のまち、こまつしま”(2012年6月1日ブログ を参照して下さい)の実現に向かっていけたらと考えています。

 第三は“経営面も優良な病院”を目指します。よい医療を行うための人材育成や高度医療機器の整備には十分な財政的な裏付けが不可欠です。医療の世界でも職員全員が経営的な感覚を持つことが要求されています。無駄を省き、必要最低限の資源で最大の効果をもたらす診断・治療を行うことが患者さんの医療費負担軽減に繋がることは言うまでもありません。こうした効率のよい医療を行うため、DPC(包括医療費支払い制度)を多くの病院が取り入れています。私たちの病院は全国で90の急性期病院にしか与えられていないDPC医療機関群Ⅱ群 に位置しています。これは①重症者の受け入れと高度な治療を行っている、②難易度の高い手術を多数実施している、③多くの臨床研修医がいる病院に対し適用されるものです。

 こうした3つの顔をもった病院造りを全職員で推進し、近い将来、日本のトップに位置する病院を目指したいと思っています。

院長プロフィール
ひあさ・よしかず
ひあさ・よしかず
1973年鳥取大学医学部卒。同大学付属病院にて臨床研修後、徳島大学大学院卒。北九州市小倉記念病院循環器科医長を経て、87年小松島赤十字病院(現・徳島赤十字病院)第三循環器科部長、2002年副院長、2011年より院長。医学博士。日本のカテーテル風船治療の草分け的存在である。