院長ブログ
トップページ院長ブログ
患者さんの健康と尊厳を守る医療を実践します
皆さまこんにちは。院長の日浅芳一(ひあさよしかず)です。職員の方や一般の方々に徳島赤十字病院を少しでも身近に感じていただきたいと考え、「院長ブログ」をホームページに加えました。拙い文と思いますが多くの方が目を通して下さることを願っています。
徳島赤十字病院
院長 日浅 芳一

2017年05月01日「平和な時代のありがたさ」

開聞岳(指宿市観光協会HPより)

 3月の3連休を利用して陸軍特攻基地として有名な鹿児島県知覧町を訪れました。知覧町へは鹿児島市中心地からレンタカーを利用し、1時間余で行くことができます。知覧は“知覧茶”の産地としても有名で、火山大地を利用した茶畑が延々と広がっていました。薩摩富士の別名をもつ開聞岳(かいもんだけ)をバックにした景観は、ここから多くの若者が死地に飛び立っていったとは信じがたいほど、のどかな風景が広がっていました。また、町の中心部は“薩摩の小京都”と呼ばれ、多くの武家屋敷庭園があることでも知られています。江戸中期の面影そのままの屋敷や庭園があり、家人と思われる品の良い老婦人から説明を受けました。戦争中は特攻隊の若者と町の人達のささやかな交流があったと言われていますが、それが何となく実感できました。

 (知覧特攻平和会館HPより)

 記念館である知覧特攻平和会館は知覧町の中心部から少し外れた小高い丘の飛行場の跡地に作られています。私が訪れた時も多くの人が見学していました。年配者が多いだろうと予想していましたが、意外にも大勢の子供や若い人たちが真剣に展示物をみつめていました。1、000を超す特攻隊員の遺影や写真、遺書が展示されています。婚約者から送られたマフラーを身に付け出撃した穴澤大尉(当時23歳)の遺書の文末には「智恵子に会い度(た)い、話し度(た)い、無性に」とありました。婚約者の将来の幸せだけ祈りながら、自分に囚われず未来を生きてほしいとの熱い思いがしたためられた遺書でした。受け取った智恵子さんの想いも如何ばかりかと思う一方で、彼のように恋を経験した者は少なかったのでないかと思われるほど、写真にはまだあどけなさが残る少年の顔が多く、胸が締め付けられました。木原少尉(当時19歳)は母子家庭で育ててくれた母親に対し「今までに何等の孝養も捧げる事無く誠に申譯(もうしわけ)御座居ません。<中略>御母さん今後御躰大切に御暮し下さい」と書き残しています。親より先立つこと程の親不幸はないと当たり前のように思われる現在ですが、ほんの半世紀と少し前、私の両親や若い人たちの祖父母の時代は、国家の命令で若者の命が楯として使われていたこと、それに対して怒りや悲しみさえ表出できなかった時代があったことを忘れてはなりません。

 北朝鮮における有事の危険性について連日報道されています。外務省も韓国への滞在・渡航を予定している人やすでに滞在中の人に対して、最新の情報に注意するよう呼び掛けています。もし、朝鮮半島で戦争が再び起これば私たちの生活も一変してしまいます。医療も「断らない医療を実践する」どころの話ではなくなってきます。若者が戦争に巻き込まれる様な時代を二度と繰り返してはなりません。そのためには、平和は与えられるものでなく、自分たちで守らなくてはなりません。個人で考えてもどうにもならないことだと決して思わず、様々な事についてそれぞれが自分の頭で考え、声を上げねばならないと思うのです。

2017年04月01日「新しい仲間たちへ」

 新しく私たちの仲間になられた89人の皆さん!心から歓迎します。「私たちは断らない医療を実践し、みなさまの健康と尊厳をお守りします」の理念の下、今日から一緒に額に汗をして働き、病める人の役に立てる喜びを共に分かち合いましょう。

 新入職員の皆さんを見ていると自分が初めてこの病院に入職した日を思い出します。1975年(昭和50年)、私は学生や研修医時代を過ごした山陰から徳島に帰って大学院に入りました。国道バイパスがまだ完成していなかった当時、週に一度パート勤務していた阿南医師会中央病院(当時)への行き帰りに通り過ぎる旧小松島赤十字病院は、私にとって憧れの病院でした。所属していた医局の関係上、当院に勤めることは絶対不可能だろうと思っていましたが、神様はいるのですね。1980年、病院が新しく循環器科を作ることになり、後輩の医師と二人で赴任することとなりました。それから37年経ちましたが、今でもこの病院が大好きですし、この病院で医師生活の殆どを過ごせたことを幸せに思っています。

 思い起こせば、赴任当初は厳しい毎日でした。外来も病棟も患者さんは数人しかいません。冠動脈造影検査についても、周囲からは「10人すれば1人は合併症で死ぬ」「ど~せ、人口の多い都会の病院には敵わない」など冷たい言葉でしか迎えられませんでした。過疎県の、しかも県庁所在地でもない地方都市で、どのようなことをすれば都市部の医師達と対等な仕事ができるようになるのだろうか。考え付いたのは、徹底した「顔の見える病診連携」でした。県内のあらゆる医院、病院に出かけ、“どんな患者さんでも24時間、365日診察する”、“入院が必要な患者さんは必ず受け入れる”、“患者さんは紹介元に必ずお返しする”旨を伝え、紹介していただけるようにお願いしました。お陰様で検査症例は順調に伸び、PCI(カテーテルを使った冠動脈形成術)を全国で最も早い段階で導入した施設のひとつとなりました。過疎というハンディキャップがあったからこそ、それを克服するためのアイデアを生み、実現させるべく人並み以上の努力をしたことで力をつけることができ、成果を得ることができたと思います。人生において、滅多にできない経験をさせていただけたことに感謝しています。

 最近、政府は「働き方改革」の一環として長時間労働の是正に力を入れています。心身の健康を損なうような働き方をするのは論外ですが、若いときにできるだけ緻密に働き、経験を多く積み重ねることが大事です。骨惜しみをしていては、優れた医療人・社会人には成り得ません。どんな職種でも、量を伴わない質の向上はないと思います。

 皆さんは若く、若さは大きな力です。考え込まずにまず一歩前に出てください。失敗経験なくして成功を修めることはできません。ひとつの成功を目指す時に最初は誰でも3つ4つの失敗をするものです。あきらめないでください。誰もが出来ないとあきらめていることの中に可能性が秘められていることを忘れないでください。「ど~せ、無理」は自分に対しても、他人に対しても絶対に禁句です。この言葉ほど可能性をなくするものはありません。初心を忘れず、素晴らしい医療人、日赤人となられることを祈念します。

院長プロフィール
ひあさ・よしかず
ひあさ・よしかず
1973年鳥取大学医学部卒。同大学付属病院にて臨床研修後、徳島大学大学院卒。北九州市小倉記念病院循環器科医長を経て、87年小松島赤十字病院(現・徳島赤十字病院)第三循環器科部長、2002年副院長、2011年より院長。医学博士。日本のカテーテル風船治療の草分け的存在である。