院長ブログ
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患者さんの健康と尊厳を守る医療を実践します
皆さまこんにちは。院長の日浅芳一(ひあさよしかず)です。職員の方や一般の方々に徳島赤十字病院を少しでも身近に感じていただきたいと考え、「院長ブログ」をホームページに加えました。拙い文と思いますが多くの方が目を通して下さることを願っています。
徳島赤十字病院
院長 日浅 芳一

2018年07月01日「新緑の奥青森を訪ねて」

6月初旬の週末を利用し、八甲田、奥入瀬、十和田湖を訪ねました。新緑の眩しいこの時期にこの地域を旅することは長年の願望でした。美しい風景を堪能することだけではありません。もう一つの目的は、戦争にまつわる2つの悲劇の現場を訪れたいとの思いがありました。青森市から八甲田山麓ロープウェーまで約30km、車で1時間弱の距離です。もちろん全線舗装道路で快適なドライブでした。そのロープウェー山麓駅から4.5kmのところに雪中行軍遭難記念像がありました。その歴史的な出来事の現場は八甲田山系の山奥での出来事と思っていましたが、あまりに人里に近く、意外に感じました。

雪中行軍遭難記念像(青森県観光情報サイト)

1902年(明治35年)、ロシアとの戦に備え青森の陸軍歩兵5連隊が雪中行軍の演習中に遭難、210名中199名が死亡した日本の冬季軍事訓練中最大の悲劇が起こりました。新田次郎はこの事件を素材に「八甲田山 死の彷徨」(新潮文庫)を著しました。映画「八甲田山」は原作を超えた名画です。北大路欣也演じる青森連隊神田大尉(中隊長)と、八甲田の反対側からの別ルートを行軍した高倉健演じる弘前連隊徳島大尉(中隊長)とを計画性、組織性、指導力等で対比させており、指導者のあるべき姿が描かれています。前者は気象条件を熟知せず、稚拙な装備で、指揮系統が不明瞭で情報や認識が不足したまま大人数でことを起こし、精神論だけで行動する昔の軍隊そのものでした。後者は38名という少人数。周到な計画をたて11泊12日の行程で完全踏破しました。映画の最終場面で、神田大尉は「天は我々を見放した」と叫びます。この一言で多くの兵が生への努力を諦めました。諦めの言葉を発するのは指揮官として最も避けるべきものだと思ったものです。映画の最後には、平和な時代になりロープウェーの窓から八甲田の山並みを眺める年老いた元隊員の姿が描かれています。私も彼と同じロープウェーに乗り、残雪をあちこちに残す緑の山々を見ながら116年前の人達の無念を思い冥福を祈りました。

十和田湖(十和田湖国立公園協会サイト)

八甲田山から約1時間で美しい十和田湖畔に着きました。余り知られていない話ですが十和田湖にも戦争にまつわる悲しい出来事があります。1943年(昭和18年)9月27日、秋田県の陸軍能代飛行場から青森県八戸飛行場へ飛行中、この湖に双発高等練習機が不時着沈没しました。この飛行機には16歳~18歳少年兵3名と整備兵1名が搭乗しており、救助されたのは少年兵1名のみでした。亡くなった少年兵の一人は広島県の出身だったそうです。戦争末期の交通事情の悪い中、広島からはるばる十和田湖畔まで来た母親は、長い間立ちすくんでいたといいます。この飛行機が2012年9月にほぼ原形のまま引きあげられ、現在は三沢にある県立三沢航空科学館に展示されています。私も科学館まで足を延ばし、実際に飛行機に手を触れることができました。薄いジュラルミンでできており、なんて脆い飛行機なんだろうと思いました。物資不足とエンジンの弱さでこのようなものしか作れなかったそうです。一緒に見学していた中学生が真剣に説明を聞いていたのが印象的でした。

それにしても新緑の東北の初夏は魅力的でした。奥入瀬峡は木々の緑のトンネルと清流が延々と14kmにわたり続きます。車道と遊歩道が並行して走っており、思い切り森林浴を楽しめた"当たり"の旅でした。

2018年06月01日「医業は伝える仕事」

入社当初は不安や緊張した様子が見られた研修医や研修看護師たちも、仕事にやっと慣れてきたらしく顔つきが引き締まってきました。私は研修医の教育係であるとも自認しています。この時期の彼らに習得してほしいことの一つは「医業は伝える仕事」と認識し、そのスキルを磨くことです。患者さんや家族に対して、病状をはじめ、今後どのようなことに気をつけて生活していただくかなど、限られた時間で分かりやすく的確に伝える必要があります。また、チーム医療のチーフとして、誤解が生まれないよう正確に指示を出す必要があります。これは医師だけではなく医療に携わる全ての者に必要なスキルだと言えます。

伝え方の基本は、結論→根拠→補足説明の順に話すことです。すなわち重要なことから順番に伝えます。一例をあげると、循環器内科チームは毎朝短時間のミーティングの中で、この24時間内に緊急入院してきた患者さんの情報を皆で共有するため、担当医がプレゼンテーションを行います。多いときには10人近くの患者さんの情報が共有されます。患者さんの全体像が把握できるように正確にかつ簡潔に、可能なら30秒以内で話す必要があります。

伝えるスキル

急性心筋梗塞の患者さんの情報提示例をあげてみます。「57歳、男性で発症3時間程度の急性下壁梗塞の患者さんが緊急入院しました。右冠動脈の中位部が閉塞していましたが、ステントを留置し完全開通できました。他の部に病変は認めません。心筋梗塞の大きさは中等度です。不整脈などの合併症もなく経過は良好です」という説明だと完璧です。しかし、研修医はなかなか最初からそうはいきません。目の前の事実を全て話さねばとの思いが強く、どんな症状で、こんな生活習慣をしていた、血液検査はどうであった、心電図はこんな所見があった・・・と延々と述べてしまいがちです。聞いている上級医たちは“結局何が言いたいの?”と不満顔になります。

短い時間で情報を的確に伝えるためには、医学知識の習得はもちろんのこと、患者さんの状態をその知識と対比させ、頭の中でまとめ、重要度の順番に整理、かつ相手の年齢、背景や知識に応じた分かりやすい言葉で話すことが求められます。こうしたことは一朝一夕には身につきません。相当な期間をかけ、厳しい鍛錬が必要です。また、いつも相手の立場に立って物事を考える"癖"も大事です。相手を思いやり、相手のことを考え、何が聞きたいのかを意識して話す習慣をつけることが重要です。

目の前にいる若い研修医たちが「医業は伝える仕事」であることを意識し、このスキルを鍛え、プロフェッショナルに成長してくれることを願っています。

2018年05月01日「季節のめぐりと暦」

毎日朝夕の徒歩通勤に使う小松島港、しおかぜ公園、遊歩道は季節の移り変わりを知らせてくれます。冬から初夏の今の時期にかけては、荒々しかった港湾内の波が穏やかになり、そして今は"のたりのたり"としています。花々も山茶花が散り始めると、椿が膨らみやがて桜が咲き、今は色とりどりのツツジや小松島市の花であるハナミズキが満開です。暦に頼らなくとも、冬が過ぎた、春がやってきた、今年の初夏の訪れは早いなど「自然暦」によって季節が実感できます。

2月12日付、毎日新聞朝刊のオピニオン欄に美学者、金田晉(かなた・すすむ)氏の「旧暦併用のススメ」というインタビュー記事が掲載されていました。いま普通に使っている太陽暦(グレゴリオ暦)を「新暦」と呼ぶのに対し、旧暦というのは太陽、地球、月の運行を基準とした太陰太陽暦で、幾種類かありますが、最も精度の高いものが幕末に作られた「天保暦」だそうです。また、啓蟄(けいちつ)、穀雨、芒種(ぼうしゅ)、霜降(そうこう)など農耕や漁業に欠かせない季節の節目を示す二十四節気(当ブログ2012年9月「院長のぼやき」参照)も取り入れられました。しかし、現在の新暦に旧暦の二十四節気や節句、雑節をそのままあてはめたことで実態とそぐわないことが多々あります。例えば旧暦の七夕は、今年は新暦の8月17日の夜にあたります。この時期は彦星(わし座のアルタイル)と織姫星(こと座のベガ)が夜空の高い位置にあり見やすいのですが、新暦の七夕にあたる7月7日は残念ながら梅雨空です。このように先人達が築きあげた季節感や風土に関する文化は、旧暦を知ることで味わうことができます。

また金田氏は旧暦の生命線ともいえる「月」に、日本人の関心が薄れていることを嘆いています。日本文学は、源氏物語を始めとして月に関する描写が実に多いことが特徴的です。英語では"moon"でしかない月が、朧(おぼろ)月、寒月(かんげつ)、望月(もちづき)、十三夜、眉月(まゆづき)等、異なった観点からの表現が豊富にあります。国際基準として太陽暦は必要不可欠ですが、旧暦を意識した生活を取り入れることで、日本の豊かな四季や自然を楽しむことにもつながると金田氏は述べています。現在でも韓国や中国をはじめとしたアジアの人達はうまく旧暦との併用を行っています。中華圏で旧正月を祝う春節(今年は新暦の2月16日)は、その時期に休みを利用して多くの外国人観光客が訪れるようになったことで日本でも知られる様になりました。また、中国ではバレンタインデーを2月14日の他にも祝う慣習があるようです。旧暦の7月7日は七夕伝説にちなんで情人節(=恋人の日)と言われ、その日は大きな花束を持った男の子達を街中で見かけるそうです。旧暦を意識した生活を取り入れ、アジア人としての共通文化を共有することで、より円滑なお付き合いができるのでないかと思います。

日本の「天保暦」が優れていることは冒頭で書きましたが、その前身である貞享(じょうきょう)暦を作った渋川春海の苦労を描いたのが「天地明察」(冲方丁著、角川文庫)です。朝廷の持ち物であった暦を庶民にも役立つものに変えていく苦労を水戸光圀や幕府重臣の保科正之を絡めて書かれています。暦とはいかなるものなのかを理解するうえでも非常に興味深い本でした。自然暦、旧暦を日常生活の中で意識することで、若い人たちにも季節を楽しんでほしいと思います。

2018年04月01日「元気で長生きして欲しい」

2015年 平均寿命ランキング

昨年末から今年にかけて厚生労働省から、2015年平均寿命ランキングと2016年健康寿命ランキングが相次いで公表されました。日本が世界に冠たる長寿国になって久しいですが、国内でも地域によって差があることが分かります。平均寿命の上位には滋賀県や長野県がきますが、私が注目したのは男女とも最下位である青森県です。5年に一度発表される平均寿命のランキングで青森県は男性が9回連続、女性も5回連続最下位という驚くべきものです。

この発表がなされた昨年12月13日、私は会議でたまたま青森県八戸市に滞在していました。テレビや新聞はこぞってこの話題を伝えていました。県保健福祉課の方は「高血圧が多く、食塩の過剰摂取を防ぐため昆布等のダシ味の普及に努めている。少しずつ成果は上がっている」とインタビューに答えていました。しかし、知り合いの病院関係者に聞くと、話はかなり違っていました。“青森県民は大のラーメン好き。朝からラーメンという人も多い。スープは他県のものと比べると塩辛いが、それでも足りずに醤油を付け足す人がかなりいる。水と無料サービスの米飯で塩気を中和させつつ食べる味が何とも言えない。また、多量飲酒者が多く喫煙率も高い。何よりも問題なのは、「色々制限してまで長生きしたくない」という健康意識の低さだ”と話していました。実際、厚生労働省「平成28年国民健康・栄養調査結果の概要」によりますと、BMI、食塩摂取量、喫煙習慣(男性)、歩数(女性)は全てワースト10に入っています。

2016年 健康寿命ランキング

これを対岸の火事と笑っていられないのが徳島県です。徳島県の糖尿病の死亡率が長い間ワースト1であったことを思うと他人ごとではありません。平均寿命は男性33位、女性40位で全国平均よりも各々0.43歳、0.33歳短いのです。さらに健康寿命(健康上の理由で日常生活を制限なく送ることができる期間)に至っては男性がやっと最下位を抜け出しワースト3位、女性はワースト4位です。先述の調査結果ではBMIがワースト16位(男性)、歩数はワースト6位(男性)、15位(女性)と歩かない実態が反映されています。これは糖尿病による死亡率が高いことにもつながっていると考えられています。

予防医学の重要性を説く中国の小話に春秋・戦国時代(B.C.770~B.C.221)に扁鵲(へんじゃく)という名医の話があります。彼は触診の創始者としても有名であり、二人の兄も医師でした。あるとき魏の文王が「おまえ達三兄弟のうち誰が一番名医か」と尋ねました。扁鵲はすぐさま「長男が一番、次が次兄、私は一番劣る」と答えました。王は「なぜ二人の兄は有名でないのか?」と聞きました。扁鵲は「長男は患者が病気になる前に本人も気づかないうちに治す。次兄は病気がまだ軽いうちに治す。私は病気が重くなってからしか治せない」と答えたというものです。

徳島県医師会が中心になって「"もう1000歩"運動」を行っていますが、行政や自治会等が一体となってこうした運動を進めたらより高い効果を得られるのではないかと思います。私たちも徳島健康フォーラムの事業である「生活習慣セミナー」を毎年5月と9月に開催し、医者と一緒に歩くイベントを15年以上続けています。歩くことは肉体的運動のみならず、脳の活性化にもつながります。
県民の皆さんの健康長寿を祈念しています。

毎年開催「生活習慣セミナー」で参加者が医師らとウォーキング
毎年開催「生活習慣セミナー」で参加者が医師らとウォーキング
院長プロフィール
ひあさ・よしかず
ひあさ・よしかず
1973年鳥取大学医学部卒。同大学付属病院にて臨床研修後、徳島大学大学院卒。北九州市小倉記念病院循環器科医長を経て、87年小松島赤十字病院(現・徳島赤十字病院)第三循環器科部長、2002年副院長、2011年より院長。医学博士。日本のカテーテル風船治療の草分け的存在である。